石川啄木ゆかりの歌留多寺  
  
 ◆本行寺と石川啄木   ◆歌留多寺 
  啄木は、『明治41年日誌』の3月3日の項目に、「本行寺
 の歌留多会へ衣川と二人で行って見たが、目がチラチラして
 居て、駄目であった」と記しています。実は啄木の日誌に、本
 行寺の名がそれ以前にも出てきています。それは2月11日
 のところです。
  この日、啄木は釧路座というところに慈善演劇を観にゆき、
 本行寺の奥様(伊藤よしえ)とその娘である「三尺ハイカラ」
 すなわち本名・小菅マツに会った、というくだりです。この観
 劇の席で、三尺ハイカラは啄木に手を握られ、彼女は啄木
 に恋心を抱くのですが、その恋は実らなかったとされていま
 す。
 
   第5世菅原弌也住職は、若い頃から啄木の歌に親しみをもって
 いました 。このため啄木関係文献を収集して開放していました
 そこへ啄木が本行寺での「歌留多会へ行って見た」という日記の
 記載。開基住職・伊藤浄栄師ゆかりの人が啄木と出会い、その啄
 木が本行寺本堂で百人一首カルタに興じたことに深い因縁を思い、
 弌也住職は「啄木ゆかりの歌留多寺」を名乗ることを発案しました。
 歌留多寺は本行寺の歴史の一面、歌留多の異称によって本行寺
 を啄木並びに啄木作品を研究・鑑賞、顕彰する拠点のひとつに位
 置づけようとしたものです。一時期、釧路啄木会の事務局が本行寺
 に置かれていました。
       
 ◆境内の啄木歌碑   ◆啄木一人百首 
  本行寺正面、山門の脇に「一輪の赤き薔薇の花を見て
 火の息すなる唇をこそ思へ」の碑があります。
  昭和58年8月、釧路の新しい名所つくりの試みとして、
 石川啄木歌碑建立期成会が企図して建立した6基の歌
 碑のうちの1基です。もちろん石川啄木が、本行寺での
 歌留多会に出席したのを記念して、同会の手で建立さ
 れた碑です。そのかたわらに、本行寺が「啄木ゆかりの
 歌留多寺」である由緒を記した標柱が建てられています。
 
  本行寺が歌人としての啄木らしさを世に問うものとして試みたの
 が、生涯を通じて4100首といわれる作歌のなかから100首を選び、
 「一人百首」の木製カルタを作ったもので、全国にも例のない貴重な
 ものです。選歌は釧路啄木会の会員によって進められ、揮毫は書家
 の石原清雅氏によってまとめられました。
 
 
         第5世菅原弌也住職と歌碑
  
 
石川啄木資料館   
   
  菅原弌也住職が年来、収集してきた啄木関係文献が300点に達したこともあり、昭和61年9月10日、啄木の生誕百年を記念して本堂の
 一隅に「啄木資料館」が解説されました。この時、中心となった資料は
     @啄木資料、啄木関係文献  A啄木一人百首一式  B啄木グッズの簡単なものでした。
 しかし、平成元年4月13日に啄木が参加したカルタ会の行われた本堂の20分の1の復元模型が展示され、資料館らしくなりました。さらに、
 平成4年7月に展示全体の改修を行い、「啄木の釧路時代」を中心にした展示情報の一新をはかりました。この改修では、展示面積の拡張
 をはかるとともに、本堂2階の大広間に「啄木顕彰展示室」を増設し、市内にある啄木歌碑の拓本と関わった人たちの資料も展観することが
 できます。
  これまで本行寺が朝日テレビ系列の番組「誘われて二人旅」の放送舞台となり、山田五十鈴・星由里子さんらが来訪され、「啄木ゆかりの
 歌留多寺」として、全国に放映されました。
   
   
    
復元模型   中には当時を模したミニチュア模型が